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【コラム】日本における「コーヒー」の歴史

コラム

こんにちは。埼玉県富士見市のスウェディッシュマッサージサロンMITSUKOの角森です。

今日はコーヒーの日本における歴史的なお話をしたいと思います。
日本のコーヒーの歴史は凡そ200年なんだそうです。スウェディッシュマッサージの歴史と同じくらいですね。

日本の鎖国時代、長崎出島、シーボルトは皆さんご存知でしょう。日本にコーヒーが入ったのは1640年代出島と言う説が最有力とのことですが、1826年にシーボルトが来日、日本にコーヒーを飲む習慣が無いことに驚いたそうです。

シーボルトは、大のコーヒー党。名奉行「遠山の金さん(遠山景元)」がコーヒーを好んだと言う記録もあるそうですが、その時代コーヒーを飲んだ人の記録として「焦げ臭くて不味い」と紹介されています。
そこでシーボルトは、「健康長寿に効果的な良薬」として販売に携わったそうです。

江戸時代末期の1805年に、ロシアが植民地開拓を目論んでいました。蝦夷地(北海道)周辺にまでロシア船を出没させていました。

これに対し、幕府は本州最北端の弘前藩(通称:津軽藩)に、宗谷岬の北方警備を命じました。ところが、過酷な自然環境の下、1年で越冬死者が続出(72人/100人)したとのこと。ビタミン不足による壊血病(出血性の障害が体内の各器官で生じる病気)でした。

それから50年の歳月が過ぎ、1855年に幕府から弘前藩など東北地方の各藩に蝦夷地の防衛を命じていて、蝦夷地に駐屯する藩士にコーヒー豆を支給しているんですね。これは蘭学者の指導。
「コーヒー豆を、黒くなるまでよく煎り、すり鉢で粗挽きした後に麻袋に入れて、熱いお湯で番茶のような色になるように抽出し、土瓶に入れ換えて、熱がさめたら再びよく温め、砂糖を加えて飲むように。」と、指導されていたそうです。この結果、壊血病死者はなくなったとのこと。

最後に、1901年、アメリカのシカゴにいた日本人科学者によって、「インスタントコーヒー」が開発されたとのこと。
また、1960年には、コーヒーの生豆が自由に輸入できるようになり、日本の各社からインスタントコーヒーが販売されるようになったとのことです。凡そ60年前の話ですね。驚きです。

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