有名なスピリチュアリスト「江原啓之さん」は、「日本一のパワースポットは『須佐神社』です」というふうに言われています。
こんにちは。埼玉県富士見市のスウェディッシュマッサージサロンMITSUKOの角森です。
江原啓之さんが言われるには、須佐神社の敷地の中でも、裏手の「大杉(樹齢約1,300年)」の周りが最もパワーが強いのだと。
須佐神社の紹介に、「命がこの地に一生を終えられてから二千幾百年余(素戔嗚尊,須佐之男命のこと)、その御神徳は今日まで及び、社頭に身を糺す思いです。」とあります。素戔嗚尊が亡くなられてすぐ神社ができたわけではありませんが、長い歴史にわたり素戔嗚尊をお祀りしていることを称賛しています。
須佐神社の建立は定かではありませんが、西暦160年に須佐神社の初代宮司が任ぜられています。今から約1,865年前。
ところが、須佐神社は一度引っ越ししています。五十三代淳和天皇の天長年間 (西暦 824 ~ 833) に。つまり、今から約1,200年前。同じ島根県出雲市佐田町の宮内という所から現在の須佐に。
すると、素戔嗚尊が2千数百年前に佐田町の宮内地区の杉の木の近くで亡くなられた。そして、須佐神社と一緒に「大杉(当時樹齢約100年)」も移転した。なので「大杉」の周りが最もパワーが強い。こう考えるとうなずける気がします。
ところで、須佐神社には主祭神として素戔嗚尊、さらに妻のクシナダヒメ、クシナダヒメの両親アシナヅチとテナアヅチが祀られています。
素戔嗚尊がこの地の(出雲市佐田町の須佐地区周辺)開拓を終えたのち、アシナヅチとテナアヅチにこの地を守るように言います。そして、アシナヅチとテナアヅチの子孫代々がこの地を守り続け、成務天皇 30(西暦160) 年、現在の須佐神社の宮司:須佐家(第79代)の祖先「第24代稲田宮主益成」の時に国土開発に功ありし国津神の末裔であると須佐国造(神官)に任じられました。
すると、「宮司になった」=「家が神社になった」のが西暦160年で、須佐家の第24代の時で、それ以前23代の家系が続いていて、一番先頭(初代)がアシナヅチとテナアヅチと考えられます。そして、そこからの家系では現在の宮司は第102代となります。
ちなみに、今の須佐神社の宮司家の苗字は「須佐」ですが、これは明治時代に付けられたそうです。