更新情報

【コラム】学問の神様からは呼ばれてない私。

コラム

私の守護神さま「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)[江島神社]」と、武道の神様、「武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)[鹿島神宮]」から「うちにおいで」と誘われていることを書きました。

こんにちは。埼玉県富士見市のスウェディッシュマッサージサロンMITSUKOの角森です。

ここで一つスッキリしないことが。大国主命の国譲りのとき、武甕槌大神とともに出雲の国に行った神様が経津主大神(ふつぬしのおおかみ)。どちらの神様も互角の武神。

鹿島神宮の紀元前660年(神武天皇元年)の創建に対し、経津主大神が祀られている香取神宮も紀元前643年(神武天皇18年)の創建と、まず互角。

伊勢神宮と並び、平安期に神宮の称号を与えられた鹿島神宮と香取神宮。由緒の点でも互角。

鹿島神宮、香取神宮ともに剣術の聖地として知られ、鹿島新當流、天真正伝香取神道流という流派を生んだことも互角。

互角だらけの鹿島神宮と香取神宮なのに、なぜ私は鹿島神宮に呼ばれたのかしら?香取神宮には直行の高速バスがないから?

で、話は変わって、学問の神様といえば、誰にも思い浮かぶ「菅原道真」。しかし、神様とはいっても天照大神、素戔嗚尊、大国主命など神話に出てくる神様ではなくて、実在の人物。

菅原道真(845年-903年)は、日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。

ところが、もう一人実在の人物で学問の神様と言われる人がいて、小野篁(おののたかむら)(802年〜852年)。菅原道真の40年くらい先輩。平安初期の官僚で、武芸にも秀で、また学者・詩人・歌人。

ちょっと怪しげなんですが、あの世とこの世を行き来して、地獄の閻魔さまの補佐をしたと。で、京都の六道珍皇寺には、小野篁が地獄へ通ったと言われる井戸があって、もちろん観光名所。

でも、本当の神様で学問の神様っていないの?と思ってしまう私。調べてみると、いろいろと出てきました。様々な方の見解の一致するところのNo.1は、八意思兼命(やごころおもいかね)のよう。天の岩戸事件で、どうやってアマテラスを外に誘い出そうか、その知恵を考え出した神様。

長野県戸隠神社、埼玉県秩父神社などに祀られています。そういえば、主人と一緒に戸隠神社に行ったとき、体力ナイナイの主人が、信じられないほどの身軽さでヒョイヒョイ階段を上がっていくのに、私はもうバテバテ。私は、学問の神様にはお呼びでなかったわけね。

PAGE TOP